水滸巡礼~108の足跡~孟康(もうこう) 第41回

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水軍を支えた船大工
孟康(もうこう)

 

ゆかりの地 河北省石家荘市正定県
あだ名 玉旛竿
職業 造船監督
宿星 地満星

 

河北省石家荘市正定県出身。

朝廷関係の人間を殺してお尋ね者になり、

その後、薊州(現天津市)にあった飲馬川(いんばせん)で山賊を始めた。

仲間と付近を荒らしていたところ、

戴宗に出会ったことを契機に入山。

水軍の造船監督、軍艦操船士など、重要な役割を担った。

 

お尋ね者の船大工
好漢たちを乗せた大船

 

孟康はかつて、真定州(現河北省石家荘市正定県)で

船大工を稼業としていた。

すらりとした長身で色白、

そんな外見が白玉の竿柱のように美しかったことから、

「玉旛竿(ぎょくはんかん)」と呼ばれた。

 

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正定古城牆。

城壁は北周時代に創建されたがその後、川の氾濫で崩壊。

1449年に拡張建造され、今は煉瓦造りに

 

孟康はある日、皇帝の命で、

造園に使う材料の花木竹石を運ぶ船を建造していたところ、

仕事を急き立てる監督官と喧嘩になった。

勢い余って監督官を殺してしまった彼は、そのまま逃亡。

そして行き着いた先が、山賊が巣食う

飲馬川(いんばせん)なる土地だった。

彼は山賊に身を落とし、飲馬川の第1頭領である裴宣(はいせん)、

第2頭領の鄧飛(とうひ)とともに、

第3頭領として場を仕切るようになった。

そんなある日、鄧飛が梁山泊一俊足と言われる男、

戴宗(たいそう)を連れて来た。

戴宗が梁山泊の人間だと知り、彼らはすっかり舞い上がる。

そして、戴宗も彼らの腕を見込み、

仲間入りを勧めると頭領たちも快諾して入山。

入山直後より、孟康は船大工の経験を買われ、造船を任される。

これまで、漁師出身の者が多く、小船しか造れなかったが、

孟康の活躍により、大型戦艦の建造が可能になり、

梁山泊の戦闘力や物資輸送力は飛躍的な進歩を遂げる。

彼が造った船は、その後の遼国(りょうこく)の戦いや

方臘の戦いで使われ、大きな戦力になった。

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蜀の五虎大将の1人、趙雲(ちょううん)を祀っている趙雲廟。

院内には趙雲像や張飛の手紙を展示している

孟康の故郷と言われる河北省石家荘市正定県。

かつてここには、行政機関の定州府が置かれた。

歴史遺産は数多く、

三国志に登場する蜀の猛将、趙雲(ちょううん)の出身地として、

多くの歴史ファンが訪れる。

どこか、孟康が船を造る音が聞こえてきそうだ。

330水滸巡礼 TIZU

~広東ジャピオン2014年11月17日号

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