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水滸巡礼~108の足跡~呼延灼(こえんしゃく)

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名家の血を引く闘将
呼延灼(こえんしゃく)

ゆかりの地 山西省太原市
あだ名 双鞭
職業 騎兵軍隊長
宿星 天威星

山西省太原市出身。

北宋建国者・呼延賛(こえんさん)の子孫。

汝寧州軍指揮官を務めていたところ、梁山泊討伐の任に就く。

初戦は勝利したものの、後に梁山泊に説得されて入山。

騎兵軍「五虎大将」の1人に数えられ、戦では無類の強さを誇った。

 

誇り高き鋼鞭の名将
連環馬で梁山泊を玉砕

 

呼延灼は山西省太原市出身の軍人。

北宋建国の功臣・呼延賛の子孫で、

汝寧州(現河南省汝南県)の州軍指揮官を務めていた。

威風堂々とした将で、戦で「鋼鞭(こうべん)」と呼ばれる、

節の付いた棒状の武器を2本使っていたことから、

「双鞭(そうべん)」と呼ばれた。

 

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24の石窟を有する天龍山。

標高1700mで、かつては北斉皇帝・高洋の父、高歓の避暑地であった

 

呼延灼はある日朝廷から、梁山泊討伐軍の総大将に任命される。

騎馬兵3000騎、歩兵5000人を率いて、梁山泊に向かった。

梁山泊軍と対峙すると、山塞の将たちが呼延灼に挑むが、

彼の鋼鞭の下に次々と敗れていく。

林冲(りんちゅう)とも渡り合ったが、

林冲の槍と呼延灼の鋼鞭は、何合打ち合っても勝負がつかない。

呼延灼軍は策を講じ、人馬ともに鎧を装着し、

馬を鎖で横一列に繋いだ「連環馬(れんかんば)」で山塞を攻め落とそうとした。

馬が地響きを立てながら駆けてくる光景に梁山泊軍は戦意を喪失、

退散を決め、討伐軍の勝利に終わった。

 

これに気を良くした呼延灼だったが、

後に、彼を仲間に加えようとした梁山泊の呉用の策でおびき出され、捕らえられてしまう。

彼は降将として死を覚悟したが、礼を尽くして入山を説得され、快諾した。

 

入山後は、騎兵軍主力として活躍。

田虎、方臘の戦いに参加して敵将を次々と討ち取り、勝利に貢献。

呼延灼は最初こそ強力な敵だったが、

結果的に彼のおかげで、梁山泊はより精強な軍になった。

 

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晋祠。最初の晋王である唐叔虞を祀った祠。

中国の伝統的な庭園や唐・宋代に建てられた殿閣や楼閣が存在する

 

呼延灼の故郷、山西省太原市。

黄土高原の東部、太原盆地の北端に位置し、山西最大の河川、汾河が市内を貫く。

古都の1つであるこの地は、2500年の歴史を有する。

呼延灼の祖先、呼延賛もこの地の出身。

かつて呼延一族の英傑たちが、この広大な黄土高原を果てしなく駆け回ったことだろう。

 

372-483水滸巡礼地図

 

 

~広東ジャピオン2015年9月28日号

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