水滸巡礼~108の足跡~単廷珪(ぜんていけい)

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黒構えの水の将
単廷珪(ぜんていけい)

ゆかりの地 山西省運城市永済市
あだ名 聖水将
職業 騎馬軍将校
宿星 地奇星

山西省永済市出身。

入山前は凌州(現山東省徳州市凌県)の軍人で、

梁山泊五虎大将の1人、関勝(かんしょう)と面識があった。

対梁山泊戦で関勝と戦い敗北したが、

彼の義に感服したことを機に入山。

その後は魏定国(ぎていこく)と騎馬軍で活躍した。

 

猛将・関勝との一騎打ち
2将軍の怒涛の攻め

 

単廷珪はもと凌州(現山東省徳州市凌県)の将校。

黒い鎧に黒柄の槍、そして黒馬に騎乗し、

同じく黒尽くめの兵を率いていたことで有名であった。

戦で水攻めの兵法を得意としていたことから、

「聖水将(せいすいしょう)」と呼ばれていた。

 

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永済市南東部に位置する五老峰。

江西省廬山、福建省アモイ市の五老峰と並び、

中国3五老峰の1つに数えられる

 

ある日、単廷珪は宋の宰相・蔡京(さいけい)から、

顔なじみの魏定国とともに梁山泊の討伐を命じられる。

かつて討伐軍を率いていた呼延灼(こえんしゃく)や

関勝(かんしょう)ら官軍の将が敗れ、

入山したことに宋軍は憤慨し、彼ら2人に討伐を命じたのだ。

そこで2人は、梁山泊軍が攻めてきたところを迎え撃ち、

緒戦で関勝の副将、宣賛(せんさん)と郝思文(かくしぶん)を

生け捕りにし、勝利を得た。

自ら攻めてきた関勝と単廷珪との一騎打ちとなったが、

さすがに三国時代の猛将・関羽(かんう)の末裔と

謳われた関勝の刃に太刀打ちできず、身体を突かれて落馬。

もうこれまでかと覚悟を決めた単廷珪だったが、

何と関勝は倒れた彼を抱き起こし、

無礼を働いたことを詫びた。

その態度に単廷珪は大いに感服。

関勝の誘いに乗り、入山すうこととなった。

 

その後は、遅れて入山した魏定国と阿吽の呼吸を見せ、ともに騎馬隊を指揮。

曽頭市攻めや東昌府攻略戦で大いに活躍し、戦の最前線で戦ったが、

最期は方臘の戦いで敵の罠にはまり、魏定国とともに戦死した。

物語では、常に2人で戦う彼らの勇猛な姿が描かれている。

 

 

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鸛雀楼は永済市西部に位置する。

周代に建立。

かつて鸛(コウノトリ)がこの建物の上に留まったことに由来

 

単廷珪の故郷、山西省永済市。

同省南西部に位置するこの地は、

かつて舜(しゅん)の帝都があったとされ、

市内にはそれにまつわる史跡が多い。

市を東西に走る黄河は、

まるで聖水将と呼ばれた単廷珪の水攻めのごとく、

今日も激しく流れている。

 
-360-471水滸巡礼地図

 

 

 

~広東ジャピオン2015年7月6日号

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