乱世を貫く神の矢
花栄(かえい)
ゆかりの地 河南省商丘市
あだ名 小李広
職業 騎兵軍八驃騎兼先鋒使
宿星 天英星
清風塞(現山東省濰坊市青州市)の副長官で、宋江とは旧知の仲。
眉目秀麗にして武芸百般に通じ、弓の腕に優れた。
騎馬軍では先鋒を務めたが、最期は宋江が毒殺された後、
彼の墓前で呉用とともに殉死。歴史書によれば、実在した人物とされている。
万夫不当の英傑ここに
その矢は雁をも射抜く
花栄は軍人の家系に生まれ、武芸に優れた。
特に弓矢において彼の右に出る者はいないと言われ、
その腕は空を飛ぶ雁をも射抜くほどだったため、
漢代の弓の名手・李広にたとえて「小李広(しょうりこう)」や
「神箭将軍(しんぜんしょうぐん)」のあだ名で呼ばれた。
宋代の教育施設、応天府書院。
白鹿洞書院や岳麓書院などと並ぶ中国4大書院の1つとされる
ある日、花栄のもとに旧友の宋江が逮捕されたとの知らせが届く。
同じ清風鎮の文官である劉高(りゅうこう)の妻が、
宋江は山賊だと訴えたため、捕縛されたのだった。
花栄はすぐに宋江を救い出すが、その後劉高が200人の手勢を引き連れ
屋敷まで押しかけて来る。
そこで花栄は、門の所に置かれている像が持つ杖を射抜くことができたなら、
直ちに引き返すよう劉高に言い渡した。
射られた矢は空を切り、光の線が劉高の目の前を走る。
果たして矢は命中し、次は像の兜、そして劉高軍の1人を撃つと花栄が言い放つと、
彼らは血相を変えて逃走した。
その後、花栄は宋江に協力する形で入山し、梁山泊の一員になったのである。
入山後も彼の活躍は光った。
曹頭市の戦いでは、敵兵に殺されそうになっていた仲間を間一髪のところで矢で救い、
方臘の戦いでは、一の矢、二の矢で次々と敵将を落馬させる。
また、自分のもとに飛んで来た矢を、身体を反らせて掴むと、
自らの弓で射返し、敵将を撃破。
戦では林冲や秦明と並ぶほど、無類の強さを誇る英傑であった。
燧人氏陵。
古代中国の神話伝説時代の帝王とされる三皇五帝の1人、
燧人氏の墳墓。商丘市中心部に位置する
花栄が梁山泊朝廷入り後に暮らした河南省商丘市。
宋代は南京応天府と呼ばれ、5000年の歴史を持ち、
商人、商売、商売発祥の地として商丘の名が付いた。
稀代の射手が暮らしたこの地を巡ってみたい。
~広東ジャピオン2015年3月30日号