水軍を支えた船大工
孟康(もうこう)
ゆかりの地 河北省石家荘市正定県
あだ名 玉旛竿
職業 造船監督
宿星 地満星
河北省石家荘市正定県出身。
朝廷関係の人間を殺してお尋ね者になり、
その後、薊州(現天津市)にあった飲馬川(いんばせん)で山賊を始めた。
仲間と付近を荒らしていたところ、
戴宗に出会ったことを契機に入山。
水軍の造船監督、軍艦操船士など、重要な役割を担った。
お尋ね者の船大工
好漢たちを乗せた大船
孟康はかつて、真定州(現河北省石家荘市正定県)で
船大工を稼業としていた。
すらりとした長身で色白、
そんな外見が白玉の竿柱のように美しかったことから、
「玉旛竿(ぎょくはんかん)」と呼ばれた。
正定古城牆。
城壁は北周時代に創建されたがその後、川の氾濫で崩壊。
1449年に拡張建造され、今は煉瓦造りに
孟康はある日、皇帝の命で、
造園に使う材料の花木竹石を運ぶ船を建造していたところ、
仕事を急き立てる監督官と喧嘩になった。
勢い余って監督官を殺してしまった彼は、そのまま逃亡。
そして行き着いた先が、山賊が巣食う
飲馬川(いんばせん)なる土地だった。
彼は山賊に身を落とし、飲馬川の第1頭領である裴宣(はいせん)、
第2頭領の鄧飛(とうひ)とともに、
第3頭領として場を仕切るようになった。
そんなある日、鄧飛が梁山泊一俊足と言われる男、
戴宗(たいそう)を連れて来た。
戴宗が梁山泊の人間だと知り、彼らはすっかり舞い上がる。
そして、戴宗も彼らの腕を見込み、
仲間入りを勧めると頭領たちも快諾して入山。
入山直後より、孟康は船大工の経験を買われ、造船を任される。
これまで、漁師出身の者が多く、小船しか造れなかったが、
孟康の活躍により、大型戦艦の建造が可能になり、
梁山泊の戦闘力や物資輸送力は飛躍的な進歩を遂げる。
彼が造った船は、その後の遼国(りょうこく)の戦いや
方臘の戦いで使われ、大きな戦力になった。
蜀の五虎大将の1人、趙雲(ちょううん)を祀っている趙雲廟。
院内には趙雲像や張飛の手紙を展示している
孟康の故郷と言われる河北省石家荘市正定県。
かつてここには、行政機関の定州府が置かれた。
歴史遺産は数多く、
三国志に登場する蜀の猛将、趙雲(ちょううん)の出身地として、
多くの歴史ファンが訪れる。
どこか、孟康が船を造る音が聞こえてきそうだ。
~広東ジャピオン2014年11月17日号