少華山の飛ぶ虎
陳達(ちんたつ)
ゆかりの地 陝西省渭南市華陰市
あだ名 跳澗虎
職業 騎兵軍将校兼斥候隊長
宿星 地周星
陝西省渭南市華陰市出身。
同市の少華山で山賊の第2頭領を務め、
第1頭領の朱武(しゅぶ)、第3頭領の楊春(ようしゅん)らとともに、
近隣を支配していた。
後に中間となる史進が梁山泊に救われたことを契機に入山。
最期は方臘の戦いで戦死する。
向こう見ずな山賊頭領
史進との一騎打ち
陳達は入山前、陝西省の少華山に巣食う山賊の頭領であった。
「点鋼槍(てんこうそう)」なる槍をよく使い、無敵の腕前を誇った。
「跳澗虎(ちょうかんこ)」のあだ名で呼ばれていたのは、
身体能力に優れ、谷間を跳び越せるほどの跳躍力があったことによる。
黄河最の大支流である渭水(いすい)。
陝西省咸陽市の南、西安市の北を流れ黄河中流の潼関で合流。全長818km。
そんなある日、官軍が少華山に攻めて来る。
陳達らは、戦のために食料調達をしようと麓の華陰県(現華陰市)の倉庫を襲撃することに。
しかし、華陰県に行くには史家村という村を通る必要があり、
そこには棒術の名手、史進(ししん)がいた。
史進の強さを知る朱武と楊春は、史家村を通ることに反対するが、
陳達は自分1人でも攻めると主張。
果たして血気盛んな彼は、史家村に単騎で乗り込み、史進に勝負を挑んだ。
点鋼槍を握り、自慢の跳躍力で勢いよく史進に飛び掛かった陳達。
3合4合と槍で交わるも、史進の猛攻に徐々に押され、遂には生け捕りにされてしまった。
陳達が捕縛されたことを知り、朱武らが史進に許しを乞うと、史進は陳達を解放した。
彼らはそんな史進に惚れこみ、第1頭領として迎え入れる。
その後は史進が頭領を務め、後に梁山泊と合流することになった。
退くことを知らず、常に戦の最前線に出て槍を振った陳達。
方臘の戦いでは、史進の副将を務め、果敢な攻めを見せたが、
最期は史進や朱武らとともに、敵の矢の雨に倒れた。
華山(かざん)。中国五名山のうち、最も険しい山とされる。
道教の聖地でもあり、複合世界遺産に認定されている。標高2160m
陳達たちの故郷、陝西省渭南市華陰市。
中国5名山の1つ、華山を擁し、その雄大な景観が多くの旅人を魅了する。
この山々から、陳達たちは梁山泊を臨んでいたのだろうか。
~広東ジャピオン2015年1月26日号