梁山泊にそびえ立つ山
死ぬまで元帥旗を守る
郁保四はかつて山東省青州市で強盗をはたらいていた。
身の丈が2㍍以上もある偉丈夫で、あだ名は「険道神」。
あらゆる人が道を譲るほど大柄だったため、そう呼ばれた。
雲門山。
駝山、玲瓏山と連なる景色は、
〝三山聯翠、障城如画(三山一帯の緑、城を遮る絵の如し)〟と評される
ある日、郁保四は、200頭ほどの馬を連れて歩く、
梁山泊の段景住(だんけいじゅう)を襲った。
郁保四は馬を奪い、
「曾頭市(そうとういち)」という山賊がいる集落に逃げ込んだが、
そこで、曾頭市一団が以前、
段景住の馬を奪い、梁山泊と戦ったことを知る。
そして今回、郁保四が馬を奪ったため、
梁山泊が再び攻めてくることに。
前の戦で頭領の晁蓋を失い、
敵討ちのため勢力を増していた梁山泊。
郁保四は今回、自分たちが不利と判断した曾頭市により、人質に出された。
殺される覚悟であった彼だが、
宋江の計らいで、梁山泊に協力することに。
郁保四は曾頭市に逃げ帰ったふりをして、
梁山泊は隙だらけ、攻めるなら今、と虚偽の報告をした。
曾頭市は早速、梁山泊本陣を攻めたが、本陣はもぬけの空。
結果、梁山泊に囲い込まれ、敗れた。
郁保四はこれを手柄に入山し、
その後は梁山泊の象徴「替天行道」の字が書かれた軍旗を、
戦場で振り続けた。
範公亭公園は、かつてこの地で知事を勤めていた北宋の政治家、
範仲淹(はんちゅうえん)を祀る
郁保四の故郷、青州市。
山東省中部に位置する同市は古代、
中国が徐州や梁州など、9つの地域に分かれ、
「九州」と呼ばれていた時代の一地域であった。
当時の繁栄ぶりを物語る北辛文化遺跡、大汶口文化遺跡など、
複数の古代遺跡を擁し、多くの考古学ファンが訪れる。
雲門山など、山東省を代表する山がそそり立つこの地には、
かつて郁保四なる、もう1つの〝山〟が存在したのだった。
~広東ジャピオン2014年6月16日号