水上で暴れる放蕩息子
命をかけた偽装工作
阮小五は、梁山泊に近い石碣村(せっけつそん)の漁師で、
兄の阮小二(げんしょうじ)、弟の阮小七(げんしょうしち)を合わせた
阮三兄弟の次兄。
兄弟の中でも最たるやさぐれ者、無類の博打好きで、
金のない時は母親のかんざしを質に入れて打つほどであった。
胸に豹の刺青があり、鉄の棒のようなたくましい腕をしていたという。
そして、阮小五に出会った者は命を短くするという意の
「短命二郎」なるあだ名を持ち、街を闊歩していた。
泉州市北部の郊外に位置する清源山。
写真の老君造像(老子像)は、中国で現存する最大の道教石刻像
阮小五が倒れた福建省泉州市。
かつて「海のシルクロード」の起点として知られたこの地は、
海上交易の中心として栄えた。
中国を訪れたマルコ・ポーロも、泉州の繁栄を、
著書『東方見聞録』に記録している。
最後まで水軍で奮闘した阮小五。
今日も泉州市の海運発展を、静かに見守っていることだろう。
崇武古城は明朝を代表する城塞のひとつで、
倭寇(わこう)の侵入を防ぐために建てられた
~広東ジャピオン2014年8月11日号