情け容赦なき必殺拳
黒旋風をも飛ばす体術
焦挺はもと、時の政府・中山府(現河北省保定市定州市)で
「相撲」を生業としていた男で、持ち前の怪力と、
「三十六路擒龍手」なる一子相伝の技で、
その名を知らしめていた。
物語では、「情け容赦がない」を表す「没面目」のあだ名通り、
並みいる力士を、完膚なきまでに打ち負かす豪傑として描かれている。
定州市中心部に位置する定州塔(開元寺塔)。
高さ84mを誇り、中国で現存する最高層の煉瓦木造古塔とされる
ある日、仕官先を探す旅の道中で、焦挺は色黒の男に出会う。
2人はいきなり睨み合いになり、男の方から襲いかかってきたが、
焦挺はあっさりと男を投げ飛ばした。
焦挺は、再び飛びかかってくる男の脇腹を蹴り、男を動けなくさせた。
男は梁山泊一の暴れん坊、黒旋風の李逵(りき)。
彼は同志の将軍・関勝(かんしょう)を助けるために、
凌州(現山東省陵県)に向かうところだったのだ。
李逵は素手で自分を打ち負かした焦挺の強さに感心し、仲間に誘う。
実は焦挺も前々から梁山泊に入りたいと思っていたが、
つてがなく諦めていたのだった。
これを機に、焦挺は仲間に加わり、
李逵とともに凌州で敵軍主将を討ち取り、関勝を救い出した。
そして、この功績が宋江に認められ、
梁山泊歩兵軍として華々しい活躍を見せてゆく。
武器を使わず、体術のみで次々と敵を蹴散らす焦挺は、
梁山泊の大きな戦力となった。
定州貢院は清代の科挙試験場。
「魁閣号舎」など、かつての試験部屋が今も残る
焦挺が生まれた河北省保定市定州市。
酪農や野菜の出荷など、
全国有数の農作地として有名なこの街は、
新石器時代に人がすでに生活を営んでいた。
「千年の街」と呼ばれるこの悠久の地で、
かつて、焦家で代々受け継がれた伝統の技が披露されたことだろう。
~広東ジャピオン2014年7月14日号