水滸巡礼~108の足跡~蕭譲(しょうじょう)

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乱世を渡り歩く書生
蕭譲(しょうじょう)

ゆかりの地 河南省南陽市
あだ名 聖手書生
職業 文書作成
宿星 地文星

山東省済寧市出身。

地元で書道を教えていたが、呉用の計略により、

彫刻職人の金大堅(きんたいけん)とともに入山。

山塞の規約や手紙など、書類全般の作成を担当する。

その後、宰相の蔡京(さいけい)の私塾教師となり、生涯を終えた。

 

山賽の静かなる能筆家
天下が認める確かな筆

 

蕭譲は済州(現山東省済寧市)出身の書家。

宋代の著名な4人の書家〝四絶〟、蘇軾(そしょく)、黄庭堅(こうていけん)、

米芾(べいふつ)、蔡京(さいけい)の書体を真似ることができるというほどの腕前から、

「聖手書生(せいしゅしょせい)」と呼ばれた。

 

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伏牛山は中国を南北に分ける境界の1つで、淮河、漢水の分水嶺となっている

 

蕭譲はある日、彫刻職人の金大堅(きんたいけん)とともに山東省の泰山に向かう道中、

梁山泊の使いの者に連れられ、山塞へ向かう。

宋江が蔡京の息子、蔡九(さいきゅう)に捕らわれていたため、

2人の力を借り、宋江を救出しようという呉用の計略だった。

蕭譲らは呉用に言われるまま、蔡九に宛てて蔡京を騙った偽の手紙を書く。

しかし、呉用の手落ちで手紙が偽物だと露見し、

結局豪傑たちが直接出向いて宋江を救出。

作戦は失敗したものの、蕭譲もその腕を認められ、山塞に留まることになった。

 

梁山泊では、山塞の通牒や記録、手紙、文書の処理のほか、訪問者の応対に当たった。

梁山泊が朝廷入りした際には、蔡京が彼を祐筆(秘書)にすることを要求し、

上からの命とあって、宋江はやむなく承知した。

かつては蔡京の手紙を偽造した蕭譲であったが、

その後蕭譲は蔡京の教師として平穏な暮らしを送ったという。

 

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南陽臥龍崗。

一説では『三国志』に登場する軍師・諸葛亮(しょかつりょう)が

この地で晴耕雨読の日々を送っていたとされる

 

蕭譲が訪れたとされる河南省南陽市。

地震計を発明し「科聖」と呼ばれた張衡(ちょうこう)、

その医学の功績から「医聖」の名を持つ張機(ちょうき)の故郷としても知られる。

そして、聖手書生の蕭譲にも縁のあるこの地は、

多くの〝聖人〟を輩出する場所だったのかもしれない。

353-464水滸巡礼アクセス

 

~広東ジャピオン2015年5月18日号

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