水滸巡礼~108の足跡~朱武(しゅぶ) 第34回

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323水滸巡礼 人物

賊徒出身の戦う軍師

勝利に導いた陣形

 

朱武は陝西省の少華山に籠もっていた山賊の第1頭領。

第2頭領の陳達、第3頭領の楊春とともに、

近隣を荒らしていた。

「双刀(そうとう)」という二振りの刀の扱いに長けるだけでなく、

兵法や陣形、用兵術についての知識をもつ。

実戦では部下を束ね、巧みな戦略を練ったことから、

「神機軍師(しんきぐんし)」と称された。

 

323水滸巡礼 風景縦

中九華寺。定遠県北部に位置する。

楚の武将、項羽(こうう)が

垓下(がいか)の戦いで敗れた後、この寺を訪れたという

 

ある日、部下の陳達が、

棒術の名手である史進に勝負を挑むも敗れ、捕らえられてしまう。

朱武は史進とまともに戦っても勝てないと判断し、

泣き落としの策を取った。

「我らは生まれた日は違えども死す日は同じと誓った義兄弟だ」と

涙ながらに訴える朱武に心打たれ、

史進は、陳達を解放するのだった。

 

朱武はその後、史進を少華山の新頭領として迎えたが、

史進の兄貴分である魯智深の説得を受け、

朱武らはそろって梁山泊入りする。

入山後は、軍師の呉用(ごよう)の補佐役を務めた。

王慶の戦いでは、梁山泊第2頭領の盧俊義(ろしゅんぎ)を補佐し、

「循環八卦(じゅんかんはっけ)の陣」という陣形を使って、

敵軍を翻弄する活躍を見せた。

方臘の戦い後も生き残り、最後まで智勇を以って山塞を支えた。

 

323水滸巡礼 風景横

虞姫墓は項羽の愛姫、虞美人(ぐびじん)の墳墓。

虞美人は項羽が敗れた後に自害

 

朱武と深い関わりのある安徽省滁州市定遠県。

古代は曲陽と呼ばれ、

『三国志』の呉の戦略家である魯粛(ろしゅく)、

明の創始者、朱元璋(しゅげんしょう)に仕えた軍師、李善長(りぜんちょう)など、

戦略・戦術の才に秀で、智謀に長けた人物を多数輩出している。

そして、神機軍師・朱武もその1人だ。

この地に眠る、才智の神に出会いたいものだ。

 

323水滸巡礼地図

 

~広東ジャピオン2014年9月22日号

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