縦横無尽に駆ける獅子
攻守で活躍する戦上手
鄧飛はかつて、薊州(けいしゅう、現天津市)の飲馬川で、
山塞を構えていた山賊頭領。
「鉄鐮(てつれん)」と呼ばれる鎖鎌の使い手で、
第1頭領の裴宣(はいせん)とともに
部下を仕切り、幅を利かせていた。
あだ名の「火眼狻猊(かがんさんげい)」は、
人肉を食べすぎてその眼が赤く染まり、
その獅子のような外見が、中国の伝説上の動物、
「狻猊(さんげい)」を彷彿とさせることにちなむ。
水鏡荘。
「水鏡先生」と呼ばれた後漢末期の人物鑑定家、
司馬徽(しばき)を祀っている
ある時鄧飛は、いつものように、飲馬川を通る旅人を襲った。
ところがその旅人は梁山泊の人物で、
1日で500里(約200㌔)を走る
「神行法」と呼ばれる道術をもつ男、戴宗(たいそう)と、
かつての山賊仲間、楊林(ようりん)。
彼らをひと目見て並の人間ではないと、
鄧飛は宴を開いて彼らをもてなし、すっかり意気投合、
梁山泊への関心を強めて、入山した。
入山後、鄧飛は祝家荘(しゅくかそう)の戦いで初陣を飾る。
先鋒として出陣し、果敢に敵将に挑むが、
仲間が攻撃の最中に苦境に陥ると、
すぐに救援に回るなど、機転を利かせた戦いを見せた。
その後は捕虜となるものの、敵の城内に潜り込ませた味方と連携して、
内側から祝家荘を攻撃し、勝利に貢献。
獅子奮迅の怒涛の攻めを見せる一方、
仲間の救出や補佐に回ることも多く、
広い視野をもつ器用な小隊長として、活躍していった。
襄陽古城は2800年以上の歴史を誇る。
古来、「華夏第一城池(中国随一の城)」と呼ばれてきた
鄧飛が生まれた湖北省襄陽市。
市を長江の最大支流、漢江(かんこう)が流れ、
唐の詩人、孟浩然(もうこうねん)も
詩作『襄陽曲』で漢江の美しさを詠っている。
そしてこの地にはまた、『水滸伝』でその武功を称えられた、
鄧飛という1人の豪傑がいた。
~広東ジャピオン2014年11月3日号