短気な暴れ龍
鄒淵(すうえん)
ゆかりの地 山西省長治市沁源県
あだ名 出林龍
職業 歩兵軍将校
宿星 地短星
山東省煙台市莱州市出身。
登州(現山東省煙台市蓬莱市付近)登雲山の山賊で、
1歳下の甥・鄒潤(すうじゅん)とともに山を支配していた。
知人の孫新(そんしん)の牢破りに協力し、
これが発端となって起こった騒動がきっかけで梁山泊に逃亡。
入山が認められた後は、鄒潤と歩兵軍で活躍する。
頼まれて加担した牢破り
逃亡の果てに梁山泊入り
鄒淵は、山東省煙台市莱州市出身の山賊。
登州(現煙台市蓬莱市付近)の登雲山に籠り、甥の鄒潤と一帯を支配していた。
気性が激しく、よく乱暴を働くが、
人の頼みには快く応じることが多く、義理堅い一面も持つ。
加えて、武術にも長けていたことから、
森林で暴れる龍を意味する「出林龍(しゅつりんりゅう)」の名で呼ばれた。
黄河支流の1つ、沁河。
山西省、河南省を抜け、黄河に合流する。全長485km
ある日、鄒淵は旧知の仲である居酒屋店主・孫新(そんしん)から、
牢破りの手助けを頼まれる。
何でも、登州の権力者、毛太公があらぬ罪で投獄した、
孫新の兄弟らを救うためという。
鄒淵は協力を約束するものの、
怪力で知られる顧大嫂(こだいそう)も脱獄に加わると聞き、
皆が一斉に暴れれば一大騒動になると考え、
兄弟を救った後、友人がいる梁山泊に逃げ込むことを提案。
そして、全員の同意を取り付けると、牢破りを決行した。
牢獄に突入した鄒淵たちは、孫新とともに、憎き毛太公一家をあっという間に皆殺しにする。
果たして、兄弟は救出できたが、騒ぎを知った政府軍が駆けつけてきた。
作戦通り、鄒淵は一行を率いて梁山泊に逃亡。
当時、梁山泊は敵軍と交戦中だったため、一行らも助太刀して、勝利に貢献する。
そしてその手柄が認められ、入山することになった。
入山後、鄒淵は歩兵将校として戦列に並んだ。
田虎、王慶の戦いで数々の戦功を挙げたが、方臘の戦いで、
敵の騎兵に踏み潰されて戦死。
最後まで激しく暴れ戦う鄒淵の姿はまさに龍だった、と宋江はその死を惜しんだ。
太岳山。
山西省の中部に位置し、長治市、晋中市、臨汾市の3市を跨ぐ。
標高2566mで、600カ所以上の見所を擁する
鄒淵が田虎の戦いで訪れた地、山西省長治市沁源県。
長治市の太岳山山麓に位置する山間の町で、
石灰や鉄鉱石など、鉱物資源の産出が豊富な場所として知られる。
この地に高く聳える太岳山に、出林龍鄒淵の雄叫びがこだましたことだろう。
~広東ジャピオン2015年9月7日号