名家の血を引く闘将
呼延灼(こえんしゃく)
ゆかりの地 山西省太原市
あだ名 双鞭
職業 騎兵軍隊長
宿星 天威星
山西省太原市出身。
北宋建国者・呼延賛(こえんさん)の子孫。
汝寧州軍指揮官を務めていたところ、梁山泊討伐の任に就く。
初戦は勝利したものの、後に梁山泊に説得されて入山。
騎兵軍「五虎大将」の1人に数えられ、戦では無類の強さを誇った。
誇り高き鋼鞭の名将
連環馬で梁山泊を玉砕
呼延灼は山西省太原市出身の軍人。
北宋建国の功臣・呼延賛の子孫で、
汝寧州(現河南省汝南県)の州軍指揮官を務めていた。
威風堂々とした将で、戦で「鋼鞭(こうべん)」と呼ばれる、
節の付いた棒状の武器を2本使っていたことから、
「双鞭(そうべん)」と呼ばれた。
24の石窟を有する天龍山。
標高1700mで、かつては北斉皇帝・高洋の父、高歓の避暑地であった
呼延灼はある日朝廷から、梁山泊討伐軍の総大将に任命される。
騎馬兵3000騎、歩兵5000人を率いて、梁山泊に向かった。
梁山泊軍と対峙すると、山塞の将たちが呼延灼に挑むが、
彼の鋼鞭の下に次々と敗れていく。
林冲(りんちゅう)とも渡り合ったが、
林冲の槍と呼延灼の鋼鞭は、何合打ち合っても勝負がつかない。
呼延灼軍は策を講じ、人馬ともに鎧を装着し、
馬を鎖で横一列に繋いだ「連環馬(れんかんば)」で山塞を攻め落とそうとした。
馬が地響きを立てながら駆けてくる光景に梁山泊軍は戦意を喪失、
退散を決め、討伐軍の勝利に終わった。
これに気を良くした呼延灼だったが、
後に、彼を仲間に加えようとした梁山泊の呉用の策でおびき出され、捕らえられてしまう。
彼は降将として死を覚悟したが、礼を尽くして入山を説得され、快諾した。
入山後は、騎兵軍主力として活躍。
田虎、方臘の戦いに参加して敵将を次々と討ち取り、勝利に貢献。
呼延灼は最初こそ強力な敵だったが、
結果的に彼のおかげで、梁山泊はより精強な軍になった。
晋祠。最初の晋王である唐叔虞を祀った祠。
中国の伝統的な庭園や唐・宋代に建てられた殿閣や楼閣が存在する
呼延灼の故郷、山西省太原市。
黄土高原の東部、太原盆地の北端に位置し、山西最大の河川、汾河が市内を貫く。
古都の1つであるこの地は、2500年の歴史を有する。
呼延灼の祖先、呼延賛もこの地の出身。
かつて呼延一族の英傑たちが、この広大な黄土高原を果てしなく駆け回ったことだろう。
~広東ジャピオン2015年9月28日号