烈火の猛将
魏定国(ぎていこく)
ゆかりの地 山東省徳州市陵県
あだ名 神火将
職業 騎馬軍将校
宿星 地猛星
山東省徳州市陵県出身。
凌州(現山東省徳州市陵県)の軍に属していた生粋の軍人で、
同軍の単廷珪(ぜんていけい)や関勝(かんしょう)らとは
かつて袂を分かったが、
入山した関勝の義に感服し、入山を決める。
最期は方臘の戦いで、
敵軍が仕掛けた落とし穴に落ち、伏兵に襲われて戦死。
深紅に染まる猛き将
敵陣に火の矢が飛ぶ
魏定国は、単廷珪とともにかつて凌州の軍に属していた。
水攻めを得意とした単廷珪とは対照的に火攻めに長け、
全身赤構えの軍団を統率していた。
烈火のごとく、果敢な攻めをすることから
「神火将(しんかしょう)」と呼ばれていた。
唐城墻は、唐代の書家・顔真卿(がんしんけい)が、
753年に「安禄山の戦い」の攻撃を防ぐために建てた防壁
ある日、官軍の宰相・蔡京(さいけい)から、
梁山泊討伐を命じられた魏定国は、
単廷珪とともに関勝(かんしょう)率いる梁山泊軍を迎え撃つ。
一度は関勝の副将2人を生け捕るという手柄を上げたが、
単廷珪が関勝との一騎打ちに敗れ、梁山泊に下った。
これに怒りを覚えた魏定国。
寝返った単廷珪を罵り、得物の火矢で関勝軍を退かせる。
しかし、今度は関勝の援軍が来て、凌城に火を放った。
逃げ場を失った魏定国は、城をまくらに討ち死にする覚悟をした。
この時、単廷珪から彼に仲間に入るよう説得され、情にほだされ、
関勝が単騎で迎えに来るなら投降すると答えた。
すると、関勝は本当に単騎でやって来た。
彼の義に感服した魏定国は、こうして豪傑たちの仲間入りを果たした。
その後は、単廷珪と行動をともにし、騎馬軍で活躍。遼討伐戦では、
2人の息が合った攻めで、敵将の高彪(こうひょう)を生け捕った。
また、物語では田虎(でんこ)の戦いで、
敵将を焼き殺す獰猛な場面も見られる。
退くことをしらない怒涛の攻めはその後も続いたが、
最期は方臘の戦いで敵の罠に嵌り、討ち取られてしまった。
徳州仙人湖。約666万㎡。
1987年に建設が開始された人造湖で、
遊覧船や釣りが楽しめるレジャースポットとなっている
魏定国の故郷、山東省徳州市陵県。
山東省の北西部に位置するこの地は、
前漢時代の政治家・東方朔(とうほうさく)を輩出し、
水と緑に恵まれた風光明媚な土地。
火が燃え尽きるかのごとく散った魏定国も、
死の直前に故郷の美しさを思い浮かべたことだろう。
~広東ジャピオン2015年7月13日号