3兄弟の頼れる長兄
漁師から水軍の英傑に
阮小二は梁山泊にほど近い石碣村(せっけつそん)の漁師で、
弟の阮小五(げんしょうご)、阮小七(げんしょうしち)を合わせた3兄弟の長兄。
水練や操船に長けた、筋骨隆々の偉丈夫であった。
また、地元では荒くれ者としても知られ、
悪影響をもたらす荒神「太歳」の名を借り、「立地太歳」と呼ばれていた。
金山風景区は巨野県南東部に位置する。
金山は山東泰山の山脈に属し、20カ所余りの古代建築を有する
ある日、後の梁山泊軍師となる、呉用(ごよう)が村を訪れた。
阮小二は、近隣でも知恵者として名高い彼を歓迎。
呉用はこの時、宋政府が賄賂として運ぶ
生辰綱(せいしんこう)という財宝の略奪を企てており、
3兄弟の力を借りるべく村を訪れたのだった。
もとより政府に不満を持っていた小二たちは、
腕を振るう場所ができたと喜び、計画に賛同。
彼らは義兄弟の契りを結び、呉用の策によって生辰綱を手に入れる。
そこに官軍の追っ手が迫ったが、
兄弟たちは地の利を活かして水辺に引きずり込み、
小二が農民のふりをして追っ手に近づくと、鋤で殺した。
3兄弟はその後、呉用に連れられ入山し、水軍の頭領となった。
河川を戦地とした戦では、水の知識を駆使し、
敵軍を何度も苦しめる手柄を立ててゆく。
巨野八景の1つ、永豊塔。北宋時代に建てられ、
塔壁には6体の石仏像が設置されている
阮小二ら3兄弟が育った菏沢市巨野県。
地名の巨野は、かつてこの地にあった巨大な湿地帯「大野沢」に由来するとされ、
黄河から派生する小川が、当時はたくさん流れていた。
3兄弟たちはその小川を生活道路として、幾度も船で進んでいたのだろうか。
今では巨野県の川はすっかり少なくなってしまったが、
それでもこの地を訪れると、力いっぱい船を漕ぐ、彼らの姿が目に浮かんでくる。
~広東ジャピオン2014年3月17日号