水滸巡礼~108の足跡~阮小二(げんしょうじ) 第8回

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3兄弟の頼れる長兄

漁師から水軍の英傑に

 

阮小二は梁山泊にほど近い石碣村(せっけつそん)の漁師で、

弟の阮小五(げんしょうご)、阮小七(げんしょうしち)を合わせた3兄弟の長兄。

水練や操船に長けた、筋骨隆々の偉丈夫であった。

また、地元では荒くれ者としても知られ、

悪影響をもたらす荒神「太歳」の名を借り、「立地太歳」と呼ばれていた。

 

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金山風景区は巨野県南東部に位置する。

金山は山東泰山の山脈に属し、20カ所余りの古代建築を有する

 

ある日、後の梁山泊軍師となる、呉用(ごよう)が村を訪れた。

阮小二は、近隣でも知恵者として名高い彼を歓迎。

呉用はこの時、宋政府が賄賂として運ぶ

生辰綱(せいしんこう)という財宝の略奪を企てており、

3兄弟の力を借りるべく村を訪れたのだった。

もとより政府に不満を持っていた小二たちは、

腕を振るう場所ができたと喜び、計画に賛同。

彼らは義兄弟の契りを結び、呉用の策によって生辰綱を手に入れる。

そこに官軍の追っ手が迫ったが、

兄弟たちは地の利を活かして水辺に引きずり込み、

小二が農民のふりをして追っ手に近づくと、鋤で殺した。

3兄弟はその後、呉用に連れられ入山し、水軍の頭領となった。

河川を戦地とした戦では、水の知識を駆使し、

敵軍を何度も苦しめる手柄を立ててゆく。

 

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巨野八景の1つ、永豊塔。北宋時代に建てられ、

塔壁には6体の石仏像が設置されている

 

阮小二ら3兄弟が育った菏沢市巨野県。

地名の巨野は、かつてこの地にあった巨大な湿地帯「大野沢」に由来するとされ、

黄河から派生する小川が、当時はたくさん流れていた。

3兄弟たちはその小川を生活道路として、幾度も船で進んでいたのだろうか。

今では巨野県の川はすっかり少なくなってしまったが、

それでもこの地を訪れると、力いっぱい船を漕ぐ、彼らの姿が目に浮かんでくる。

 

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~広東ジャピオン2014年3月17日号

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