乱世を渡り歩く書生
蕭譲(しょうじょう)
ゆかりの地 河南省南陽市
あだ名 聖手書生
職業 文書作成
宿星 地文星
山東省済寧市出身。
地元で書道を教えていたが、呉用の計略により、
彫刻職人の金大堅(きんたいけん)とともに入山。
山塞の規約や手紙など、書類全般の作成を担当する。
その後、宰相の蔡京(さいけい)の私塾教師となり、生涯を終えた。
山賽の静かなる能筆家
天下が認める確かな筆
蕭譲は済州(現山東省済寧市)出身の書家。
宋代の著名な4人の書家〝四絶〟、蘇軾(そしょく)、黄庭堅(こうていけん)、
米芾(べいふつ)、蔡京(さいけい)の書体を真似ることができるというほどの腕前から、
「聖手書生(せいしゅしょせい)」と呼ばれた。
伏牛山は中国を南北に分ける境界の1つで、淮河、漢水の分水嶺となっている
蕭譲はある日、彫刻職人の金大堅(きんたいけん)とともに山東省の泰山に向かう道中、
梁山泊の使いの者に連れられ、山塞へ向かう。
宋江が蔡京の息子、蔡九(さいきゅう)に捕らわれていたため、
2人の力を借り、宋江を救出しようという呉用の計略だった。
蕭譲らは呉用に言われるまま、蔡九に宛てて蔡京を騙った偽の手紙を書く。
しかし、呉用の手落ちで手紙が偽物だと露見し、
結局豪傑たちが直接出向いて宋江を救出。
作戦は失敗したものの、蕭譲もその腕を認められ、山塞に留まることになった。
梁山泊では、山塞の通牒や記録、手紙、文書の処理のほか、訪問者の応対に当たった。
梁山泊が朝廷入りした際には、蔡京が彼を祐筆(秘書)にすることを要求し、
上からの命とあって、宋江はやむなく承知した。
かつては蔡京の手紙を偽造した蕭譲であったが、
その後蕭譲は蔡京の教師として平穏な暮らしを送ったという。
南陽臥龍崗。
一説では『三国志』に登場する軍師・諸葛亮(しょかつりょう)が
この地で晴耕雨読の日々を送っていたとされる
蕭譲が訪れたとされる河南省南陽市。
地震計を発明し「科聖」と呼ばれた張衡(ちょうこう)、
その医学の功績から「医聖」の名を持つ張機(ちょうき)の故郷としても知られる。
そして、聖手書生の蕭譲にも縁のあるこの地は、
多くの〝聖人〟を輩出する場所だったのかもしれない。
~広東ジャピオン2015年5月18日号