叉を飛ばす虎
丁得孫(ていとくそん)
ゆかりの地 湖北省荊州市
あだ名 中箭虎
職業 歩兵軍将校
宿星 地速星
東昌府(現山東省聊城市)の武将。
東昌府の将軍・張清の副将として、
龔旺(きょうおう)とともに府を守る。
対梁山泊戦で敗れたため、張清に従う形で入塞。
その後は龔旺と歩兵軍で多くの戦に参加。
最期は方臘の戦い・歙州攻略戦中に、毒蛇に足を咬まれて死亡。
張清子飼いの虎
梁山泊軍を襲う飛叉
丁得孫は東昌府(現山東省聊城市)で東昌府将軍・張清の副将を務めていた軍人。
「飛叉(ひさ)」なる投擲用の三叉槍を得物とし、
同じく投擲武器を扱う龔旺(きょうおう)とともに、
張清を援護。身体中にあばたがあることから、
矢傷を負った虎を意味する「中箭虎(ちゅうせんこ)」の名で呼ばれた。
湖北省最大の面積を誇る洪湖。
中国七大淡水湖の1つとされ、食用魚の養殖が盛ん
ある日、東昌府に盧俊義(ろしゅんぎ)率いる梁山泊軍が攻めてきた。
攻め寄せる豪傑たち相手に、張青は石つぶて、
龔旺は飛槍、丁得孫は飛叉で応戦。彼は虎のごとく雄叫びを上げ、
そして投げた飛叉が梁山泊の武将・項充に刺さった。
これで梁山泊は引き返し、東昌府は勝利を収めた。
しかし喜びも束の間、梁山泊は2度、3度と攻め寄せてくる。
張清を援護しようと馬を走らせた丁得孫だったが、
呂方(りょほう)、郭盛(かくせい)の2武将が彼の前に立ちはだかる。
飛叉を振り回し、懸命に応戦したが、
相手軍から飛んで来た矢に丁得孫の馬に射抜かれ、落馬。
そして敵陣まで引きずられていった。
時を同じくして張清、龔旺も捕獲されたことで、
張清が投降を決め、そろって山塞に下ることになった。
入山後は、龔旺と歩兵軍で活躍。
2人の投擲武器は入山後も切れ味を見せた。
童貫(どうかん)率いる宋軍との戦では、敵将1人を討ち取っている。
敵陣に切り込んだり、変装して敵国に潜入し、
工作したりと数々の功績を挙げ、物語の戦場面を賑わせた。
荊州古城。
春秋戦国時代に建造された。
明代に一度修復され、これまでに古代のシルクや剣などが発掘されている
丁得孫らが戦った王慶の戦いの戦地、湖北省荊州市。
長江の中流域に位置する港湾都市で、かつては荊州と呼ばれた。
歴史上、水運による交通と物流の拠点で戦略上の要地でもあり、
「兵家必争の地」として、多くの時代で戦地となった。
北宋末期、この地の河に山に、丁得孫の飛叉が飛んでいたことだろう。
~広東ジャピオン2015年8月24日号