得物は刀と縄、そして美
梁山泊の虎に嫁ぐ宿命
祝家荘、扈家荘、李家荘の独龍岡三家のひとつ、扈家の息女。
梁山泊と一戦を交えて敗れた後捕えられ、
宋江の勧めで、王英の夫となる。
入山後は内務を司る騎兵軍頭領のほか、
孫二娘(そんじじょう)らとともに、女性軍頭領として活躍。
揚州市北部に位置する痩西湖。
園内には、大虹橋や徐園、五亭橋など、10カ所以上の見どころがある
扈三娘は、江蘇省揚州市儀征市扈家荘の出身。
女だてらに、日月双刀なる二振りの剣の使い手で、
縄を使って人を生け捕ることにも秀でていた。
「一丈青(いちじょうせい)」というあだ名の由来は、
諸説あるが、南宋時代に一丈青と名乗る女性将軍が実在し、
彼女に由来するというものが有力だ。
ある日、盗賊の時遷(じせん)らが、梁山泊に向かう道中、
山東省の祝家荘に寄り、村の鶏を盗んだ。
この件がきっかけで、祝家一族と梁山泊軍は、対戦することに。
扈三娘は祝家荘の祝彪(しゅくひょう)の許婚であったので、
援軍として参加する。
彼女は持ち前の剣術で、梁山泊の欧鵬や馬麟に勝ち、
戦闘中彼女にひと目惚れした王英を生け捕りにした。
しかし、林冲には敗れ、捕らえられる。
その後、祝家荘軍は敗れ、
同じ地域にあった彼女の出身集落・扈家荘も壊滅、帰る場所を失う。
そのため、扈三娘は宋江の勧めで入山し、王英と結婚した。
入山後は、呼延灼軍との戦いで、敵将の彭玘(ほうき)を、
関勝軍との戦いで郝思文(かくしぶん)を生け捕るなど、
数々の武功を立てた。
最期は、方臘の戦いで、敵将に王英が殺され、
仇を取ろうと感情的に深追いしてしまい、討たれて戦死。
大明寺。鑑真が日本に渡る前、住職を務めていた古刹。
園内の鑑真紀念堂には、日本から送られた鑑真の坐像が安置されている
扈三娘が育った揚州市。
作中では扈家荘は山東省だが、一説には江蘇省揚州市の村とも言われ、
市中心部から南東50㌔に位置する。
南に長江が流れる同市は、唐時代の仏僧、鑑真の出身地で、
彼を奉った大明寺など、多くの観光地を有する。
熱き男たちに劣らず、比類なき強さと、
「海棠の花」と讃えられる美しさで名を馳せた扈三娘。
この女傑を育てた揚州市の美しさを、肌で感じてみたい。
~広東ジャピオン2014年5月5日号