大河で暴れる蜃
童猛(どうもう)
ゆかりの地 江蘇省江陰市
あだ名 翻江蜃
職業 水軍頭領
宿星 地退星
江蘇省九江市出身。
兄の童威(どうい)と2人で塩の販売で生計を立てていた。
その後、兄貴分として慕っていた李俊が宋江を助け、彼に付き従う形で入山。
水軍頭領を務め、王慶の戦いや方臘の戦いで活躍。
最期は李俊とともに梁山泊を離脱し、暹羅国(シャム)に渡り、現地で暮らした。
長江を支配する兄弟の弟
新境地を求めて旅立つ
童猛は、潯陽江(現江蘇省九江市)出身の人。
兄の童威(どうい)とともに掲陽嶺(現長江)で塩の密売をしていた。
兄と同じく、泳ぎの達者な荒くれ者で、
河をかき乱す龍を表す「翻江蜃(ほんこうしん)」のあだ名で呼ばれ、幅を利かせていた。
中国一裕福な村といわれる華西村(かせいそん)。
村創立35周年に当たる1996年に金塔が建設された
ある日童猛は、李俊らとともに、地元の居酒屋に飲みに行った。
店は巷では有名な強盗居酒屋。彼らが入ると、1人の男が倒れていた。
男は罪人としてここに流されていた宋江。
痺れ薬を飲まされ、殺されようとしていたのだ。
宋江と顔見知りだった李俊はすぐに宋江に解毒剤を飲ませ、事なきを得た。
童猛らは、普段李俊から宋江の豪傑ぶりを聞かされており、彼を歓待。
そして、次の流刑地・江州に向かう宋江を送り出したのだった。
ところが、宋江は江州で叛乱罪に問われ、死刑を宣告される。
知らせを聞いた童猛らは、すぐに助けに行き、
まさしく暴れ狂う龍のように激しく敵兵と戦い、辺りは大混乱。
そしてようやく宋江を救い出すと、李俊に従い、仲間入りした。
入山後は、兄とともに泳ぎの力を活かし、
水軍で活躍。宋の高俅(こうきゅう)が船で攻め寄せてきた時は、
水中に潜って敵船に乗り込み、敵将の生け捕りに成功。
常に兄と行動し、どちらかが危機に陥った時は必ず助け合った。
しかし、その後、童猛らは梁山泊の今後に不安を持ち、
李俊とともに山塞を離れた。
海を渡り、そのまま異国で役人生活を過ごしたという。
悟空寺。
江陰市悟空村に位置し、梁代(502~552年)に建立された。
2003年の発掘調査で、古代貨幣や宝物が発見された
童猛らが王慶の戦いで戦った江蘇省江陰市。
2500年の歴史を持ち、
明代の地理学者・徐霞客(じょかきゃく)の故郷として知られる。
毎年端午節にはドラゴンボートの大会が開催されて賑わう。
童威らもかつて、龍と化した水軍として、この地で暴れていたことだろう。
~広東ジャピオン2015年8月10日号