義侠心に富んだ美髯公
朱仝(しゅどう)
ゆかりの地 河南省新郷市
あだ名 美髯公
職業 騎兵軍将校
宿星 天満星
山東省菏澤市鄆城県出身。
鄆城県政府の役人で、出身地を同じくする宋江と、昔から親交があった。
梁山泊の呉用らの策で入山することになり、
その後は仲間の雷横(らいおう)とともに騎馬軍で活躍。
方臘の戦い後は朝廷に仕え、傭兵軍団の総司令官に出世した。
その姿はまるで関羽
梁山泊の策に嵌って入山
朱仝は菏澤市鄆城県出身の軍人。
宋江とは昔馴染みで、長い間、相棒の雷横(らいおう)とともに、
鄆城県で役人として勤めていた。
長刀をよく使い、腹の辺りまで垂れ下がった長い髯が特徴だった。
義に篤く、風貌が『三国志』の関羽にそっくりなことから、
彼のあだ名をそのまま譲り受け「美髯公(びぜんこう)」の名で呼ばれた。
三国時代の「官渡の戦い」の主戦場となった呉起城遺址。
かつて曹操は、この地から3kmほど南の地点に陣を張った
雷横はある日、殺人罪で捕縛される。
遊郭の踊り子に公衆の面前で侮辱されたことに怒り、彼女を殺してしまったのだった。
踊り子の馴染み客に政府の知事がいたため、雷横は死刑を免れることができない。
護送を命じられた朱仝は、彼を不憫に思い、逃がして梁山泊入りを促した。
ところが今度は朱仝が、罪人逃亡幇助で、滄州(現河北省滄州市)へ流される。
朱仝は、滄州の役所に送られたが、知事に気に入られ、彼の幼い息子の子守を任される。
子どもも朱仝の長い髯を気に入っており、ある日子どもを連れて街に出かける。
しかし、ふと目を離した隙に子どもが、
梁山泊の乱暴物・李逵(りき)にさらわれ、頭を割って殺されてしまったのだ。
実のところ、これは前々から朱仝を欲しがっていた梁山泊が、彼を引き込もうと仕掛けた策。
この事件で進退窮まった朱仝は、李逵を恨みつつも梁山泊入りを承諾する。
入山後は、騎兵軍の将校を務め、童貫軍が山塞を攻めた時は、
山塞南口を死守し、方臘の戦いでは敵将を討ち取るなどの活躍を見せた。
物語では、義に篤い人物として描かれている。
比干廟。殷代の政治家・比干(ひかん)を祀る。
比干は暴君の紂王に諌言したところ、聞き入れられず、殺された悲運の人物
朱仝が田虎討伐戦で戦った地、河南省新郷市。
同省北部に位置し、南方に黄河を臨むこの地は、
かつて関羽が戦った「官渡の戦い」の舞台としても知られる。
時代が異なれど、2人の美髯公が戦ったこの地は三国志、水滸伝ファン必訪の地だ。
~広東ジャピオン2015年9月14日号