民族訪ねて三千里~満族 第39回

minzoku-title

minzoku

 

統一王朝を築いた民族

全ては赤い実から始まる

 

満族は、遼寧省東部から、

吉林、黒龍江省北部に渡る東北3省を主な居住地として暮らす。

彼らは統一王朝「金」(1115~1234年)を築いた民族「女真族」の末裔であり、

中国最後の統一王朝「清」(1636~1911年)を建国した民族としても知られる。

 

活躍が顕著であったのが清朝。

当時の満族男性は日本の羽織に相当する馬蹄形の「袍褂」を着用し、

前頭部を剃り上げ、後頭部の毛髪を伸ばして三つ編みにする「辮髪」が基本スタイル。

一方、女性はチャイナドレスの原形と言われる「旗装」を着用し、

髪型は「両把頭」といって、頭のてっぺんで2つに分けて束ねていた。

そのほか、靴底の厚みが10㌢もある「旗鞋」を着用するなど、

彼ら特有の文化が多く取り入れられたという。

この華やかな王朝が築かれた背景には、次のような伝説がある。

 

384ming-zu-v2

1. 清朝当時、宮廷に仕える女性の代表的な衣装だった「旗装」

2. 男性の髪型として定められた「辮髪」。当時、「辮髪」にしない男性は死刑に処されたという

3. 瀋陽市の瀋陽故宮。ヌルハチとホンタイジの2皇帝が皇居として利用した

 

「その昔、吉林の長白山で天女の三姉妹が水浴びをしていると、

神の使いのカササギが赤い実を運んで来た。

末娘・仏庫倫が実を口に入れると、たちまち身ごもり、布庫里雍順という男子を産んだ。

彼は容姿端麗にして聡明であり、成長すると川を下り、

争っていた3つの部族を治めて満族の始祖となった」

 

そして、布庫里雍順は自らを、清朝皇帝家の姓である愛新覚羅と名乗り、

彼の残した子孫が、清朝初代皇帝ヌルハチだったという。

ヌルハチは清の前身の「後金」を築き、2代目のホンタイジが国号を「清」と改め、

3代目の順治帝が首都を北京に移した後、発展の基礎を築いた。

 

北京の故宮やチャイナドレスなど、今日でもよく見られる事物を、

満族の歴史を追いつつ、改めて観察するのも良いだろう。

 

~広東ジャピオン2013年9月9日号

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

最新号の電子版はこちらから

PAGE TOP