統一王朝を築いた民族
全ては赤い実から始まる
満族は、遼寧省東部から、
吉林、黒龍江省北部に渡る東北3省を主な居住地として暮らす。
彼らは統一王朝「金」(1115~1234年)を築いた民族「女真族」の末裔であり、
中国最後の統一王朝「清」(1636~1911年)を建国した民族としても知られる。
活躍が顕著であったのが清朝。
当時の満族男性は日本の羽織に相当する馬蹄形の「袍褂」を着用し、
前頭部を剃り上げ、後頭部の毛髪を伸ばして三つ編みにする「辮髪」が基本スタイル。
一方、女性はチャイナドレスの原形と言われる「旗装」を着用し、
髪型は「両把頭」といって、頭のてっぺんで2つに分けて束ねていた。
そのほか、靴底の厚みが10㌢もある「旗鞋」を着用するなど、
彼ら特有の文化が多く取り入れられたという。
この華やかな王朝が築かれた背景には、次のような伝説がある。
1. 清朝当時、宮廷に仕える女性の代表的な衣装だった「旗装」
2. 男性の髪型として定められた「辮髪」。当時、「辮髪」にしない男性は死刑に処されたという
3. 瀋陽市の瀋陽故宮。ヌルハチとホンタイジの2皇帝が皇居として利用した
「その昔、吉林の長白山で天女の三姉妹が水浴びをしていると、
神の使いのカササギが赤い実を運んで来た。
末娘・仏庫倫が実を口に入れると、たちまち身ごもり、布庫里雍順という男子を産んだ。
彼は容姿端麗にして聡明であり、成長すると川を下り、
争っていた3つの部族を治めて満族の始祖となった」
そして、布庫里雍順は自らを、清朝皇帝家の姓である愛新覚羅と名乗り、
彼の残した子孫が、清朝初代皇帝ヌルハチだったという。
ヌルハチは清の前身の「後金」を築き、2代目のホンタイジが国号を「清」と改め、
3代目の順治帝が首都を北京に移した後、発展の基礎を築いた。
北京の故宮やチャイナドレスなど、今日でもよく見られる事物を、
満族の歴史を追いつつ、改めて観察するのも良いだろう。
~広東ジャピオン2013年9月9日号