水滸巡礼~108の足跡~楊春(ようしゅん) 第23回

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312 水滸巡礼 人物

 

慎重に動く静かなる蛇

冷静な判断で危機を回避

 

楊春は、少華山に居を構える山賊集団のひとり。

「大桿刀(だいかんとう)」という長刀の扱いに長けたが、

性格は大人しく、色白の長身、細身の身体だったことから、

仲間たちには「白花蛇(はくかだ)」と呼ばれた。

 

312 水滸巡礼 風景縦

運城市内にある「解池」は中国で最も著名な塩湖。

同市は古くから、塩の産地として栄えていた

 

ある日、楊春らは食糧調達のため、麓の村を襲撃した。

しかしその途中、身体に9つの龍の入れ墨を彫った豪傑、史進(ししん)と衝突。

仲間の陳達が我先にと単騎で史進に挑んだが、

長棒の達人である彼にあっけなく敗れ、捕縛された。

楊春は武名のある史進に勝てるわけがないと観念し、

「陳達とは生まれた時は違えど、死ぬ時は同じ。

我々も一緒に捕えてくれ」と懇願すると、

史進はその義侠心に心打たれ、陳達を返してやった。

その後、史進が朝廷の策略で捕らえられる事件があったが、

楊春らは恩返しに史進を救出する。

そして、史進を少華山の新頭領に迎え、

その後、宋江の檄文に共感した少華山の山賊集団は、梁山泊に加わる。

 

入山後は斥候隊として活躍し、常に出すぎた真似はせず、

冷静で的確な判断をもって戦に臨んだ。

田虎(でんこ)討伐戦では敵将を討ち取る手柄を立てたが、

方臘の戦いで史進や陳達たちとともに戦死し、

最後まで山賊の仲間との義を忘れなかった。

 

312水滸巡礼 風景横

『三国志』の関羽は運城市で生まれた。

彼を祀った解州関帝廟には、

毎年多くの三国志ファンが訪れる

 

楊春の故郷、山西省運城市解州鎮。

世界で最も古い文明のひとつである

華夏(中華)文明の揺籃の地でもあり、

中国古代君主である舜(しゅん)や禹(う)、

中国最古の王朝・夏(か)の都城もここに置かれた。

その後も発展してゆく運城市を、

楊春は死後も蛇のように静かに見守っていたことだろう。

 

312水滸巡礼 地図

 

~広東ジャピオン2014年7月7日号

 

 

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