水滸巡礼~108の足跡~郭盛(かくせい) 第27回

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316水滸巡礼 人物

 

唐の名将軍の再来

白く輝いた方天画戟

 

郭盛はかつて諸国を回る水銀商人であった。

旅の途中、黄河で水難事故に遭ったことで

商いに頓挫し、賊徒に成り下がる。

若い時から「方天画戟(ほうてんがげき)」と呼ばれる武器の扱いに長け、

「賽仁貴(さいじんき)」なるあだ名を持っていた。

これは唐の将軍、仁貴(じんき)を凌ぐという意味。

仁貴は方天画戟の使い手で、

白一色を身にまとい、戦っていたことで有名。

郭盛もそれに倣って、白でそろえると、

仁貴をも凌駕する腕前で、その名を轟かせていた。

 

316 水滸巡礼 縦

南充市を流れる嘉陵江は、

陝西省宝鶏市が源流。

全長1119kmを誇り、重慶市まで続く

 

郭盛はある日、青州(現山東省青州市)の

対影山(たいえいざん)に、

呂方(りょほう)という、同じく方天画戟を操る人物の噂を聞く。

それはぜひ手合わせを、と考えた郭盛は、

青州に赴くと、勝負を挑んだ。

郭盛の前に現れた呂方は、全身赤づくめ。

一方の呂方は白備えで、紅白の対決が始まった。

ところが半月経っても勝負がつかず、

最後は偶然通りかかった宋江の仲介によって決着。

そして、最終的に2人は、宋江の勧めで入山することになった。

 

郭盛は入山後、宋江近衛隊として活躍。

宋江が江州(現江西省九江市)で敵軍に捕縛された時は、

商人のふりをして侵入し、救出に貢献。

また、曽頭市(そうとういち)の戦いでは、

呂方と一対で戦うなど、

攻撃軍主力の1人として多くの見せ場を作った。

 

316水滸巡礼 横

田壩会館は南充市嘉陵区に位置する。

1791年に建立された、

四川北部式歴史建築のひとつ

 

郭盛の故郷、四川省南充市。

長江の支流である嘉陵江が市内を流れ、

水資源が豊富な地として知られる。

また、「白鷺の郷」とも呼ばれ、

太和鷺鳥という白鷺が2万羽以上生息する。

この地から飛び立ち、

純白の勇将として名を馳せた郭盛は、

白鷺の化身だったのかもしれない。

 

316水滸巡礼 地図

 

~広東ジャピオン2014年8月4日号

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