皇帝も認めた治療術
皇甫端(こうほたん)
ゆかりの地 北京市
あだ名 紫髯伯
職業 獣医
宿星 地獣星
北京市出身。東昌府(現山東省聊城市)で獣医を営んでいたところ、府に戦をし掛けてきた宋江に出会い、入山。馬匹管理を担当し、負傷した軍馬の治療に専念する。梁山泊が朝廷に帰順してからは、皇帝の命で、宮廷馬匹長官として働くことになった。
山塞で唯一の獣医師
戦時に不可欠の名伯楽
皇甫端はかつて東昌府(現山東省聊城市)に住む名の知れた獣医であった。馬に関して非常に目が利き、家畜の病気なら薬や鍼で治せないものはないと言われるほど。地元では、目が青く、腹まで届く赤ひげをたくわえ、異国風の容貌だったことから、「紫髯伯(しぜんぱく)」と呼ばれていた。
八達嶺長城は明朝を代表するもので、もともとは外敵の侵入を防ぐために建てられた。海抜1015m
そんなある日、東昌府に梁山泊の軍が攻め込んでくる。東昌府の将軍、張清(ちょうせい)は最後まで抗い死闘を繰り広げたが、梁山泊の策略に嵌り降参。しかし宋江は張清を気に入り、入山を勧めた。張清は東昌府の獣医である皇甫端のことを以前から知っており、彼の力がきっと役立つ、と推挙した。宋江の前に連れて来られた皇甫端は、一目見るなり、彼からあふれる侠気に惚れ込み、その場で入山を申し出る。宋江も皇甫端の独特な外見と技術に魅かれ、皇甫端の加入を認めた。
梁山泊入りしてからは、軍馬の管理を担当し、戦で負傷した馬の治療に当たった。これまで軍馬が死んでは、馬の買い付けを担当した段景住(だんけいじゅう)が馬を連れてきていたが、皇甫端の技術で十分に軍馬を確保できた。皇甫端が最前線に立つことはなかったが、段景住や医者の安道全(あんどうぜん)とともに、梁山泊を陰で支えた人物として描かれている。
故宮博物院。明・清王朝の宮廷建築と宮廷収蔵を基礎とした国立博物館。1987年にユネスコ世界遺産に認定
皇甫端の故郷、北京市。言わずと知れた中国の首都で、50万年前から人類が生活し、かつては大都、北平と呼ばれ、700年以上も都が置かれた悠久の地だ。世界遺産の故宮博物院を歩けば、宮廷の獣医として仕えた皇甫端の、馬を連れた足音が聞こえてくる。
~広東ジャピオン2014年12月15日号